謎の川崎病に挑む
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命を守る実証科学 立ちはだかる権威、政治 謎の川崎病に挑む 「歩み来て、未来へ―ニッポン近代考」「疫学」
2009年9月25日 提供:共同通信社
厚生省は朝9時に仕事を始めると聞いたので、8時半から廊下で待った。9時になっても誰も来ない。10分、20分がすぎ、ようやく一人の男が現れ、部屋に入った。
「何かご用ですか」「実は研究費のことで」
じっと顔を見つめられた後、「お話をうかがいましょう」と机のわきにあるいすを勧められた。
日赤中央病院(現・日赤医療センター)の小児科医、川崎富作(かわさき・とみさく)は9年前に初めて出合った病気のことを説明し、研究費をもらえないかと訴えた。黙っていた厚生省・科学技術参事官、加倉井駿一(かくらい・しゅんいち)が口を開いた。「疫学調査をされましたか」
疫学調査って何ですか。問い返したい気持ちを抑え、「していない」と答えた川崎に、加倉井は国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)の疫学部長、重松逸造(しげまつ・いつぞう)に会うよう強く勧めた。1970年2月。寒い朝だった。
▽予防
ある病気がどんな人にどのように起きているかのパターンを調べ、原因を探り、病気を防ぐ。その方法を体系化した科学が疫学だ。病気のメカニズムのすべてが分からなくても、予防の手だてを与えてくれる。
19世紀半ば、コレラが大流行したロンドン。一人の医師が死者の出た家を地図に書き込み、そのパターンから発生源は排せつ物で汚れた井戸だと突き止めた。コレラ菌の発見は約30年後だ。
日本では明治時代、国民病と呼ばれた「かっけ」の予防に海軍軍医、高木兼寛(たかき・かねひろ)が成功した。海軍で低い階級ほど患者が多いことに気付き、食事の改善で予防できることを実証した。かっけはビタミンB1の欠乏で起こるが、当時はビタミンの概念そのものがなかった。
一方、東京大を頂点とする権威主義が悲劇も生んだ。陸軍軍医の森林太郎(もり・りんたろう)や東大教授の青山胤通(たねみち)らが根拠の乏しい「細菌説」にこだわったため、日露戦争時、陸軍ではかっけにより3万人近くが亡くなった。
実証科学である疫学は日本では普及が遅れ、科学と無縁の権威や政治に揺さぶられてきた。
▽突然死
熱が高く、首のリンパ節が腫れ、両目は真っ赤。舌はイチゴの肌のようで体に発疹(ほっしん)が広がる-。後に「川崎病」と呼ばれる病気の子を初めて診たときのことを、川崎は84歳の今も鮮明に覚えている。
「はしかなど、知られているどの病気にも当てはまらない。医局で議論したが、僕は納得できず『診断不明』とした。それがよかったんですね」
6年後、患者50人の症状を記した論文を発表した。しかし東大医学部小児科の教授が「既知の病気」と決めつけ、日本小児科学会では議論すら封じられてしまった。
川崎と会った重松は研究の意義を認め、当時の研究費で最高の200万円が出た。重松を指南役に疫学調査が始まった。
結果に二人ともがくぜんとした。全国の医療機関から3千を超える症例が報告され、20人余りの赤ちゃんが突然死していたのだ。比較的軽い病気と説明してきただけに、衝撃は大きかった。
「突然死の原因は心筋梗塞(こうそく)。年寄りの病気だから、赤ちゃんの心臓の血管が詰まって心筋梗塞を起こすなんて、僕も含め、たいていの医者は考えもしなかった」と91歳の重松は振り返る。
▽健康政策
川崎たち少数の医師が「点」で観察していた病気が、疫学調査により「面」で把握され、全体像が浮かび上がってきた。
発症は生後3カ月を超えると増え始め、1歳の手前でピークに達する。3回の全国的流行があり、90年代半ば以降、患者はどんどん増えている。
治療法が開発され、突然死は減った。だが普通の治療が効かない患者への対応や後遺症の影響など、解決すべき問題は多い。原因も謎のままだ。
それなのに厚生労働省は03年の第17回調査で研究費を打ち切った。その後も研究者たちが別途、費用を工面し、2年に1度、調査を続けている。
現在、調査を率いる自治医大教授の中村好一(なかむら・よしかず)(51)は「ウイルスなどの感染が引き金で、患者側の何らかの要因が絡み発症するのではないか。原因に関する仮説を検証するためにも、調査を続ける必要がある」と語る。
「川崎病の調査を一つのきっかけにして疫学の重要性を臨床医が理解してくれるようになった」。重松と調査を担った自治医大名誉教授、柳川洋(やながわ・ひろし)(73)はそう話す一方で、最近の健康政策に不満をぶつける。
世界の疫学データに基づいて、厚労省の総合計画「健康日本21」に盛り込まれるはずだった「成人喫煙率の半減」という目標は、業界の反発と、それを受けた自民党の圧力で消えた。
「メタボ健診」では十分な疫学データに基づかない診断基準が採用された。「今の基準ではリスクの高い人を見逃す恐れがある」と柳川は言う。
科学そっちのけの健康ブームの一方で、命を守る政策の足元が危うい。
※ぬくもり
川崎の訴えを受け止めた加倉井は4年後、がんのため54歳で亡くなった。参事官だったのは1年間。奇跡のような出会いだった。
低所得者のため結核治療費の全額公費負担を実現し、出向した鳥取県では療養所のハンセン病患者の故郷訪問事業を始めた。加倉井の足跡には人のぬくもりを感じる。
川崎病研究も温かさに包まれている。調査にまじめに回答する小児科医。協力を惜しまない「川崎病の子供をもつ親の会」。治療に役立つ情報をと研究者は知恵を絞る。
厚生労働省はその輪の外にあるようだ。病気の広がりを考えれば、同省が直接調べるべき段階ではないのだろうか。(m3.comより)
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