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がんを生きる つながりを求めて 今だから力になれる

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今だから力になれる がんを生きる つながりを求めて/2

2009年11月24日   提供:毎日新聞社

がんを生きる:つながりを求めて/2 今だから力になれる

 ◇看護師が患者になって

 電話の向こうで、相談してきた母親のすすり泣きが聞こえた。20代の娘は白血病で、死期が迫っていた。

 今年夏、東京・湯島のがん電話情報センター。「つらいですよね」。相談員の原由美子さん(50)=仮名=は、そう声をかけながら、自分も涙を止められなかった。「相談員の私が泣いていいのか」と思いながらも、こらえ切れなかった。

 「話をよく聴いてもらって、あのお母さん、うれしかったはずよ」。電話の後、自分の対応を反省する原さんに、上司の相談主任、橋本明子さん(58)が優しく声をかけた。その言葉の通り、母親からはその後も度々電話があった。

 原さんは4年前まで看護師だった。病院に勤務した後、36歳で結婚退職し、5年後、長女が2歳になったのを機に復職、輸送部品製造会社の保健室で社員の健康指導を担当した。

 3年が過ぎたころだった。左肩にしつこい凝りを感じるようになった。整形外科を受診したが、異常はなかった。乳がんの診断を受けた友人の顔が、ふと浮かんだ。「まさか」と思いながら、がん専門病院で受診した。結果は、やはり乳がんだった。

 告知直後のことは、よく覚えていない。看護師から入院手続きの説明を受けた時も、帰宅途中に公衆電話から夫に電話した時も、ただ泣いていた。「医療者として、告知を受けた患者の気持ちは理解していたつもりでした。でも、自分が患者の立場になり、初めて何も分かっていなかったことに気づいた」

 手術を受け、1カ月の休職後、いったん復職したが、治療との両立に不安を感じ、結局、半年後に退職した。

 看護師の就職情報サイトで、がん電話情報センターの相談員募集を知ったのは08年1月のことだ。将来への不安、薬の副作用の苦しみ。自分の経験を振り返ると、本当に話したいことほど家族には言えなかった。「がんを体験した自分だからこそ、力になれることがあるかもしれない」。そう思って申し込み、翌月からの採用が決まった。

 小学5年の長女(11)には、まだ自分のがんを伝えていない。手術後の傷口が痛み、娘を抱き締めてあげられない時もあった。抗がん剤治療で毛髪のない姿を見せないよう、しばらくは風呂も一緒に入れなかった。「ママと一緒に入りたい」とせがむ娘を前に、胸がつぶれそうになった。母親と患者、看護師の間で揺れた6年だった。

 先月、白血病の娘を気遣う母親から、また電話があった。

 「今、病院から娘をやっと連れ帰ってきました。お世話になりました」

 亡くなったという知らせだった。原さんは、そっと胸の中で手を合わせた。母親から「ありがとう」と言われたとき、この仕事の重みを改めて感じた。【清水優子】=つづく

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 ◇相談員の応対評価

 がん電話情報センターは、ケースごとに相談員の応対を評価している。主なチェック項目は▽主治医と患者・家族との関係を妨げる発言をしなかったか▽医学的判断をしなかったか▽相談員の個人的立場や好み、信条、意見を伝えなかったか▽相手が話しやすい話し方だったか--など21点。一方、相談者についても、声のトーンの変化や、今後も利用しようとする意思の有無などで満足度を測っている。

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