「いのちのコンパス_アルコールにおぼれて」一般医療ニュースから
憎いけど、会いたかった 母の苦しみ知り共感 「いのちのコンパス―アルコールにおぼれて」
2010年7月28日 提供:共同通信社
こそこそと隠れて酒を口にする母の姿が、ぼんやりと記憶に残っている。「どうやったら振り向いてくれるんかな」。幼いころの美和(みわ)さん(29)は、母の気を引くことばかり考えていた。
母の池田澄子(いけだ・すみこ)さん(55)がひとり家を出たのは1986年。その後、しばらくは父のいない時間帯に、スーパーの総菜をお土産に会いに来てくれたが、3年後に離婚が成立すると、めっきり姿を見せなくなった。「捨てられたんやと思った」
中学に上がると、2歳上の姉優美(ゆみ)さんが母に代わってお弁当を作り、裁縫も引き受けた。
弁当箱には焦げたウインナーや卵焼き。アジの開きが1匹丸ごと入っていたことも。美和さんはありがたいと思いつつも、友達の前でふたを開けるのが恥ずかしかった。
優美さんは、夕方、母がよく電話してきたのを覚えている。「いま何しとるん」。ろれつが回らない母。「勉強しなくちゃいけないし、晩ご飯も作らなきゃいけないのに」。ベルを無視して出なかったこともある。
電話で話していることを父に気付かれた日。母の悪口を言う父に、優美さんは言い返した。「お母さんはわたしにとって一人しかおらへん。そんなに悪く言わんといて」
美和さんも、当時の気持ちをこう振り返る。
「憎いけど、ずっと寂しくて、お母さんに会いたかった」
美和さんが高校1年のとき、約10年ぶりに始まった母との生活。断酒を始めて間もない母が、ずっとアルコール依存症に苦しんできたのを知った。「つらいことがあって、お酒に頼らざるを得なかったんやな」。母を責める気持ちが薄らいだ。
親子のきずなを結び直す道は平たんではなかった。「今まで何もしてあげられなかった」との思いから「母親業」に熱が入り、あれこれと口出しする澄子さん。優美さんは口をきかなくなり、美和さんは一時、父の家に戻ったりした。離れてみると腹立ちは収まり、「わたしを愛してくれてるんやな」と感じられた。
澄子さんは周囲のアドバイスもあって、接し方を変えた。なるべく干渉しない。何か相談してくれば、支えになってあげる。母と娘2人の関係は、次第に穏やかなものに変わった。
「お酒を飲まないお母さんが、そばにいてくれるだけで幸せ」と美和さん。澄子さんのパートナー聡(さとし)さん(57)が「いつもお母さんの横にいてくれることが心強い」。
姉と同じ看護師になった美和さんはいま、摂食障害と闘っている。ストレスがたまると、止めどなく食べてしまう。「解消できない心の穴を、別の何かで埋めようとする」。かつて酒におぼれた母の苦しみが、よく分かるようになった。
澄子さんは、そんな美和さんをそっと見守る。母親がいない生活を送らせ、悲しい思いをさせた。「自分が飲まずに生きる姿を見せることで、娘たちに『ごめんね』と謝り続けていくしかない。まっすぐに、どうか自分の人生を生きてほしい」(文中仮名)
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以外でした、女性に多いアルコール依存症。
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