人生は「カキクケコ」/面白い - 横浜市で腰痛 坐骨神経痛解消の整骨院

あおぞら整骨院

腰痛・肩こり・頭痛コラム

人生は「カキクケコ」/面白い

やはり、人生は、この世で与えられた

後にも先にも有り得ない、たった一回こっきりの

「あなたの人生」なのだ。

面白く人生を過ごしたいものである。


顔が輝いたから「面白い」!

 

「カキクケコ」

「カ」は、人生の脳の栄養剤である、「感動」を言う。
あなたは、毎朝、目がさめるのが楽しみだろうか?
子供のころに見た、あの明日に対する、「ワクワク」する夢は、どうなったのだろうか?
明日は、運動会だ、遠足だ、という日の明け方。
今、何時だろう? と何度も時計をみながら、ワクワク、ゾクゾクした頃の、
あの少年少女だった頃の、あなたを覚えていますか?
「どうせ……」という、無感動・無関心の諦めにも似たような既成概念で、
人生を、どうせこんなもんだろう、と決め付けているあなたはいないだろうか?
一生感動。一生青春。
それが、脳を若返らせ、人生を、生きていて良かった、という感動にする。
一日、一感動。
そのつもりで探せば、一つぐらいは、どんな小さなことでもあるはずだ。
何事が起きても、「面白い!」と思うか、「嫌だなあ!」と感じるか。
それだけで、人生は、あなたの脳は、百八十度も違ってくる。

「キ」は、「興味」を持って生きているか? である。
興味とは「好奇心」でもある。
興味が無いと、当然、感動も発見も有り得ない。
好奇心は、明日へのバイタリテイーにもなる。
「夢」、「希望」を持っていない人生は、生きたままの屍と同じである。

ここに、興味ある「良好なコミュニケーションを維持する手法」を紹介しておこう。
これは私の勤務する社内で使われている。
  
第一に、部下には「質問をする」こと。
質問のねらいは、情報を収集して、部下を理解して良い関係を築くことにある。
あなたと同じ方向を向かいながら一緒にやっていますよ、ということになる。
向かい合う、対峙すると、親子関係でもそうだが、緊張が険悪に変わる。
そこで、大自然の神様の前では、「大きな子供」と「小さな子供」でしかないと、
同じ方向を向けば、関係も自然と和やかになる。
  
第二に、「受容」である。
「しかし」ではなく、「なるほど」といつも相槌を打つ。耳を傾けてやる。
すると、安心して、同じ仲間としてどんどん話しをしてくれるようになり、
問題の核心が本人にも次第に分かってくるようになり、理解と信頼がより深まる。
 
第三に、「繰り返す」こと。
「じゃあ、あなたはこう考えているんだね」と、繰り返してあげると、
相手は自問自答して、自分の曖昧な考えもまとまる。
ああしろ、こうしろ、と命令するよりも、自分で決めていることになるから、
効果的であることは言うまでも無い。
 
第四に、「明確化」。
明確化とは、相手の話を聞きながら、その言葉の下に潜んでいる感情を指摘することにある。
「今夜も残業でしょうか?」、と聞いてきた時に、「そうだ当然だよ、頼むよ」と答えると、
相手は、「やっぱりなあ。嫌だなあ」と考える。
これは相反する、対峙する感情を引き起こすことになる。
そこで、「今夜は何か予定があるの? 大事な予定だったら悪いからなあ」、と
同じ方向を向きながら、聞いてあげる。
すると、「いやあ、そんなに大した予定もありませんので…」と、特に反発もしないで、
この上司は、私の立場で一緒に考えてくれる人なのだ、と安心する。
と同時に、「私、喜んでやります!」、と心情はより穏やかになる。
 
第五番目に、「支持する」ことである。
「ああ、そう。私だって君の立場だったら、同じように思うだろうねえ。まったく同感だねえ…」と、
相手に賛同して、勇気付けてやる。
自身の無い人間は、支持するどころか、直ぐに説教をたれ始めるし、
相手の取った行動にケチをつけたりする。

この共通点とは、相手といつも同じ方向を向いているところにある。
相手を口説くときも、向かい合わせに座らないで、横に座ると効果的なのだ。
会議でもめそうだったら、その敵対する発言者たちを、向かい合わせにしないで、
お互いを隣りどうしに着席させると、スムーズに行く。

「ク」は、「工夫」しているか? である。
あなたの人生で、「ヤラなかったのか?」、あるいは「ヤレなかったのか?」と聞かれたらば、
どちらが多かっただろうか?
これは、自分が一番良く知っていることだろうが、
ヤラなかったくせに、ヤレなかったと言い訳している自分がいはしないだろうか? 
ヤラなかった自分を、あの時は、こうこう理由でヤレなかったとかの精神的な合理化をして、
自分をもすら誤魔化していないだろうか?
失敗者は「なぜ出来ないか」を、いつも考え、その上、後輩や子供に向かって、説教をたれる。
これを、年齢は若いかもしれないが、「精神的老害」と言う。
かたや、成功者は、「どうすれば出来るか」を、いつも考えている。
そのためには、その方法論をいつも工夫している。
こういう人は、老人であっても、「一生現役青年」という。

 

「ケ」は、「健康」である。
健康とはもちろんすべての健康を言う。
だが、「心の健康」、「精神的な健康」が無ければ、成功者にはなれない。
その心の健康、「氣」が、運命を采配するのだから。
氣があって初めて、それは五臓六腑を支配し、身体も健康体になる。

「コ」は、何だろう?
これは、いつも「恋をする」、ということ。
恋愛感情を失ったら、もう人生は半ば枯れかかったようなものである。
異性に対して、心のときめくを少しも意識しなくなったら、もう精神的不能になりかっている、と言える。
好きではある、だけど……と、もう、心がときめくような恋愛感情がなくなったとすれば、
それはそれで安心だろうし、良いかもしれない。
夫婦はそれで構わない。
が、恋人どうしであれば、これから先は、あまり長続きしないかもしれない。
心理学者フロイドは、こういう実験をした。
禁欲を続けさせた若い青年画家に、目の前の「裸婦」を描かせる。
次に、同じ画家に、もうこれ以上は嫌だ、もうダメだというほどに性欲を満たさせてやる。
直後に、もう一度、絵を描かせる。
同じ画家が描いた、同じモデルの裸婦なのに、その絵が発する審美は、まるで違うそうである。
フロイドいわく、「美も、総てのものに感動する心も、人が行動に移すことも、
すべての生命根源には性欲が、そうさせる」、と。
恋愛感情、求愛行動は、動物も同じように持っている本能である。
また、これがなければ総ての動物は絶滅するのだから、もっとも重要な本能だろう。
だから、それを卑しいものとさげすまないで、美しい生命の源として、捉えるべきものであろう。
恋をする人間は、星を眺めても、枯葉を見ても感動して涙を流す。
恋をする人間は、詩人になる。
恋を忘れた人間は、感動も涙もない、死人になる。

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自分の後ろ姿は自分じゃ見えねんだなあ    (相田みつを)

 

青年は、教えられることよりも、刺激されることを望む    (ゲーテ)

 

(黒木安馬メルマガより抜粋)

 

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